【報告】全国教職員対象311福島視察研修(12/26~28)

◆全国の教職員を対象に「311福島被災地視察研修」を実施しました/8都道県19名が参加し、原発事故被災地の現状と課題を共有しました。

・廃炉作業が続く福島第一原発構内に立ち入り、視察した参加者(2号機を間近に望む丘で、東京電力撮影・提供)

全国の教職員を対象に、東日本大震災と原発事故の被災地を巡る「311福島被災地視察研修」を2025年12月26-28日の2泊3日の日程で実施しました。

3.11メモリアルネットワークが2月と8月に定期実施している「311被災地視察研修」(3泊4日で岩手と宮城の主に学校被災現場を視察、2019-2024年度は宮城教育大学防災教育研修機構が実施)にこれまで参加した教職員(累計約350人)から、福島視察の要望が多く寄せられたことに応え、新規に企画しました。

廃炉作業が続く福島第一原発の構内視察(予約過密で年内受入最終日を確保)を優先したため、年末のあわただしい時期の設定になりましたが、募集開始即日に定員が埋まる状況で、関心の高さがうかがえました。北海道から沖縄まで19人の参加を決め、2泊3日で福島県富岡町・大熊町・いわき市・双葉町を巡り、帰途は宮城県山元町の津波被災慰霊碑にも立ち寄りました。

原発構内、汚染土や放射性廃棄物の中間貯蔵施設、帰還困難区域に立ち入り、原発事故被災の現実に触れたほか、復興に向けて少しずつ街の姿を変えながらも影響が色濃く残る自治体の実情を目の当たりにし、参加者は一様に「福島からこの国のエネルギー政策や地方振興の未来を考え続けたい」と語り合いました。

福島被災地視察研修は福島第一原発の構内視察予定が確保され次第、今後も過去の311被災地視察研修に参加した教職員を主な対象として募集し、実施してまいります。

 


日程
  • 2025年12月26日(金)-28日(日)の2泊3日
  • 詳細日程は、別紙1の通り
  • 参加費58,000円(宿泊費 2泊分24700円、バス代 22500円、入場料・講師謝礼 3800円、企画案内料 7000円)

参加者19名概要
  • 2022年3月から2025年2月の311被災地視察研修に参加した教職員対象に募集、選抜
  • 北海道3人、埼玉県1人、東京都4人、静岡県1人、愛知県6人、大阪府1人、福岡県1人、沖縄県2人
  • 男性9人、女性10人
  • 最年少25歳、最年長65歳
  • 小中高校や特別支援学校の校長、教諭、養護教諭

主な視察・立ち寄り先

【東京電力廃炉資料館・東京電力福島第一原発】(富岡町・大熊町)

  • 廃炉作業が続く2号機方面を視察(東電撮影)
  • 原発事故の状況と廃炉作業の概要を伝える映像を見て、原発構内視察の準備

【原子力考証館】(いわき市湯本)

  • 民間、被災者の視点で原発事故被災を伝え続ける旅館「古滝屋」の施設を、当主里見喜生さんの説明で見学
  • 朝の集まりで、原発事故被災地の未来を自由な対話の場「未来会議」の取り組みに触れ、記念写真

【富岡町内】(富岡町)

  • 富岡町3.11を語る会の代表青木淑子さんの案内で、ブドウ栽培とワイン造りなどが進む丘や休校のままになっている富岡高校など、富岡町内を視察
  • 青木さんとの語り合いで、事故後の避難状況、その後の避難長期化の苦悩、帰還住民の思いなどに触れ、地元の人の言葉で被災と復興を語り継ぐ意義を確認

【原発隣接の帰還困難区域】(大熊町)

  • 大熊未来塾の代表木村紀夫さんの案内で、帰還困難区域に立ち入り、被災当時のままになっている熊町小学校を視察し、遺構保存の必要性を共有
  • 次女夕凪さんの遺骨が見つかった現場に立ち、原発事故が引き起こした悲劇の背景と事後後の社会のありようをやりとり

【宿泊先・ほっと大熊】(大熊町)

  • 福島の視察で得たことも含め、311被災地視察研修の成果について語り合い
  • 大熊町が新しい街づくりの拠点として整備した大川原地区で、役場庁舎背景に集合写真
  • 参加者に修了証、代表して沖縄から参加した喜友名恵先生に授与

【東日本大震災・原子力災害伝承館】(双葉町)

  • 福島県の復興祈念公園にある伝承館を視察し、原発事故被災の概要を理解

【山元自動車学校慰霊碑】(山元町)

  • 教習の高校生ら37人が津波被災の犠牲になった自動車学校事故の慰霊碑を視察、18歳の長女を亡くした早坂満さん、由里子さん夫妻から「三陸以外でも多くの犠牲があったことを忘れないで」と訴えられ、広範囲に及ぶ津波被災の現実を再確認

参加者の事後リポート(一部のみ、抜粋要約して紹介)

・小学校教諭

「福島のことは実際に視察が決まるまではほとんど何も知らない状態であった。そのため、今回の視察は自分にとって衝撃的な事実を多く知ることができた。やはり、現地に自分の足で立ち、肌で感じることが一番の学びに繋がると改めて感じられた。立ち入り解除になってから、除染作業をし、解体・整地・新改築作業を行うにはこんなにも時間を要することがとても衝撃であった。15年経った今でもバリケードが張ってあり、立ち入り解除となっていない地域や帰宅困難地域が残っていることにも衝撃を受けた。帰りたくても帰れない場所が帰らない場所に変わっていってしまっている事実に切なさや悔しさを感じた。その大変な状態の中でも、街に帰ってきた人の前向きな想いや、新しく学校が開校した時の地域の人々の想いを考えると胸が熱くなり、視察に行った私たちが事実を伝え続けていかなければならないと改めて感じた」

・中学校教諭

「研修前、私は被災地の中でも「福島の現在地」はむずかしいと漠然と捉えていました。しかし、被災地はいずれも被害を被っているという点では同じであり、今なお苦しんでいる人たちがいるということにも変わりはないということ。今回の実地体験のおかげで、今更ですがその本質がストンと胸に落ちた気がします。勝手に岩手・宮城と福島の間に線引きをしていた浅はかな自分への気づきもありました。家を流され、住むところを失った方たち。元いた場所に戻ることがかなわず、新たなコミュニティに居場所を求めたいのだけれど、未だ落ち着かない方。原発の事故でふるさとを追われ、思い出の家が朽ちていく現実と向き合う方。放射線量が高く帰宅困難区域にある自宅に簡単には戻れない方。家だけではなく、田畑や店舗、事業所が解体された土地を地域の復興のための礎とした地権者の方。先祖伝来の土地や家屋、今まで延々続いてきた生業をあきらめ、泣く泣く手放した方。長引く避難生活を余儀なくされた上、避難先のコミュニティから拒否され、今なお道を模索している方。原発事故直後の混乱の中で連絡・調整といった対応が機能せず、厳しい寒さの中命を落とされた入院患者の方。ふるさと復興のため戻ってはきたものの、元通りにはならない多くの現実と闘っている方。これらはまるで戦争で全てがことごとく破壊され尽くした沖縄、広島、長崎の被害とその後の混乱に通じるものであり、戦争という歴史の中の出来事が、今回の災害の結果、今、目の前で起きている出来事として認識できた感覚も覚えました。このように今なお苦しんでいる人々がいる一方、伝承やふるさと復興のために立ち上がっている人たちがいるということ。苦しみや悲しみの中にあって、それでも前を向いて生きようとする人々。そのような方たちの「生き様」から、私も力を与えられているような気がします」

・中学校教諭

「福島の置かれている現状については、とても苦しく感じた。震災から15年経った現在、未だ故郷に戻れない人々がおり、廃炉まで時間がかかる事は知っていても、近隣の市町村や県民の間で分断が起こっている事は知らなかった。故郷に戻れず、この苦しみを共有できないのは、どう言葉にすればいいのかわからない。福島県内で同じ苦しみを共有しながら、思いや向かう方向がバラバラな感じがしており、悲しさ・悔しさが伝わる話が数多くあった。福島県内での県民の分断は、まさしく辺野古への基地移転や嘉手納の爆音訴訟と同じ構図である。宜野湾市民にとっては、市街地にある基地をどかしたい、住民の安全を守りたいという思いと、辺野古の自然を守りたい、自然は回復しないのではないかという不安がある名護市民の思いの中で、県民の意見が対立している。名護市は基地を置く見返りに、予算をもらってしまっている。今更断るのはどうかと言う意見もある。色々な思いが対立し、県民の意見がまとまらないのが実状だ。また、嘉手納の爆音訴訟も、うるさいのであれば、嘉手納町以外の場所に住んだ方がいいと以前は私も考えていた。しかし、沖縄の戦後を学び、先祖の守ってきた土地から離れたくない、できるだけ近くにいたいという話を聞いた時、考えが180°変わった。今回の研修での、『帰宅困難区域だができるだけ近い場所にいたい』という住人の思いと同じだと知った。沖縄には日本にある米軍基地の約70%が集中している。もちろん、アメリカの文化が入ってきたり、様々な面で予算がついたりなど、良い点もあるだろう。しかし、沖縄の一県に全てを押し付けるに近い状況が、震災後の福島と同じ状況だと感じた。沖縄・広島・長崎の戦後は終わっていない。だがその他の人々にとっては『終わった』事とされ、現状に思いを馳せる人々が少なくなっているのではないか…と心配になることがある。福島の復興、震災以前の福島を取り戻すのは少なくとも60年以上かかるとされており、私たちの世代では、おそらく見る事はできないだろう。かといって、若い世代は震災前の福島を知らない世代となる。その場所で育まれてきた伝統や文化、郷土への思いを、誰がどう引き継いでいくのか、今後も考え続けなくてはならないと感じた。今回の研修を終えて、私自身に何ができるかを振り返って考えた。もちろん、東日本大震災での学びや復興に関心を持ち続け、1人でも多くの子供たちに、これらの教訓や糧を共有していく事は必須である。それらと併せて、沖縄戦を学び直し、多くの犠牲から何を学ぶのか、何を伝えていくのかを考える機会をいただいた。今後どうすれば自分事として考えてもらえるのか、伝えていけるのかを学び続けたいと思う」

・中学校教諭

「今回の研修を通して,「原子力発電所」と「電気を使うこと」について考えさせられました。見学場所で一番印象に残っているのは,大熊町の熊町小学校です。ガイガーカウンターを下げ,窓から見学した校舎内とグラウンド。ランドセルがまばらに置かれていたり,付箋がびっしり貼られた厚い国語辞典だったり,整然と靴箱に並べられた外靴と散らばった外靴。そして,一面ススキ?に覆われたグラウンド。朝礼台がなかったら,そこがグラウンドだったとはまったく気づけないと思いました。今後,震災遺構として残していくなら,あのグラウンドは「整備」せずそのままにしてほしいと,他の地域の震災遺構の学校を思い出しながら感じました。東電の廃炉資料館からの福島原発見学,その後の古滝屋考証館での里美さんのお話。汐凪ちゃんの遺品を見てからの木下さんのお話。里美さんも木下さんも考えながら一つ一つ話していくところに東日本大震災は「終わっていない」と改めて実感しました。 「電気を作ることは命を守ること」……こう言われると,北国に住む私は抵抗できません。ストーブもお風呂もトイレも食事も,生活全般が電気頼りです。2018年のブラックアウト(北海道胆振東部地震)が9月上旬ではなく厳冬期だったら,直接の被害だけでなく災害関連死者数がもっと出てしまったに違いなく,冬の防災を考えるきっかけになりました。それだけに,電気を使わない生活を4年もされた木下さんが「原発反対」とは言わないことに重みを感じました。電気は必要です。が,「節電」の意味が今までとは全く違う受け止めになりました(節電は節約のためではなかった)。学校現場では,一人一台のタブレットやAI先生の活用など,ますます電力に頼ることばかりです。泊原発3号機の再稼働を不安に思うだけでなく,なぜ再稼働しなければならないのか,自分たちの生活の中での電気の使い方について,生徒と一緒に考えようと思います」

・小学校教諭

「本研修を通して、私は、福島第一原発事故は「終わった出来事」ではなく、今もなお人・地域・自然に被害を与え続けている現実であり、その現実に目を向けようとしない社会構造そのものが、最も深刻な問題であると強く感じた。同時に、教員という立場にある自分が、有事の際に「正しいこと」を子どもたちに伝えられるのか、また、平時において何を教えておくべきなのかを、根本から問い直す研修となった。その理由は、原発事故による甚大な被害が今なお継続しているにもかかわらず、廃炉の完了時期や中間貯蔵施設内の除染土の最終処分方法が定まらないまま、国と東京電力が原発再稼働を進めている現実を、現地で突きつけられたからである。また、人為的事故であるにもかかわらず、責任の所在が曖昧にされ、被害の実態が社会の関心から遠ざけられている状況に、強い違和感と怒りを覚えた。

研修では、東電廃炉資料館、福島第一原発、湯本温泉古滝屋(原子力考証館)、富岡町、大熊町帰宅困難区域および中間貯蔵施設、東日本大震災原子力災害伝承館、山元自動車学校遺族・早坂さんの語りなどを訪問・拝聴した。特に強い衝撃を受けたのは、廃炉資料館で担当職員が映像資料の前で謝罪を行っていた場面である。謝罪は、本来、責任を負う立場にある経営者や意思決定者が行うべきものであり、一職員が矢面に立つ構図に、企業の無責任さと組織の歪みを感じ、不快感を覚えた。また、大熊町の帰宅困難区域や中間貯蔵施設では、人が住めなくなった土地に取り残された自然や生き物の存在が強く印象に残った。人間は事故を起こし、土地を捨てて逃げることができるが、自然は逃げることができない。人間が被害を与え続けているにもかかわらず、その責任を負おうとしない国や企業、行政の姿勢に、強い憤りと同時に、深い虚しさを感じた。全国19名の教員との交流からは、地域によって原子力や災害の捉え方が大きく異なることを学んだ。北海道ではアイヌ文化と再生可能エネルギーの問題、沖縄では米軍基地と島文化の継承、愛知県では南海トラフ地震への危機意識の低さ、北九州では震災から距離がある地域ならではの防災教育の課題が語られた。また、発電所が生活の中で「見える地域」と「見えない地域」とでは、原子力発電が現実の問題として認識される度合いが大きく異なるという指摘は、非常に示唆的であった」